まごころのままに生きる

織田トマトの日々

自分の本音を抑えて抑えて
誰かのことを最優先に考える。

私が救いたいと思う原点に居る人は
いつもそんな女性でした。

今日はそんなお話。

 

 

「自分を生きる」

と決めたあなたを
大空と大地のエネルギー
たっぷりのトマトで応援する

織田トマトの織田茜です。

 

 

昨日のブログで

本居宣長が定義した
まごころについて書きました。

 

あなたの使命はなんですか?
あなたは自分の「使命」について考えたことはありますか?私はある時からそのことについて考えるようになりました。今日は私が今...

 

それは

事に触れて動く心

 

そして

そのまごころこそが
私の使命と関係している

そう思っています。

 

以前のブログで書いたように
私が救いたいと思う人の原点。

 

それは

私が子ども時代の母です。

 

子どもにとっての太陽はお母さんです
子どもにとっての太陽。それは「お母さん」。お母さんが笑っていることが子どもにとってはしあわせなんです。だからこそお母さん...

 

母は幼いころから病弱で
自分の両親にたくさんの
心配をかけたからこそ

これ以上迷惑をかけたくない
という想いが強い人でした。

 

だから

娘の私からすると

ずっと本音を抑えて
生きてきた人

です。

 

そんな母は縁あって
父と出会い結婚しますが

父の諸々のことで
母はたくさん悲しい想いを
してきました。

 

だから

母の脳裏にはひとつの
選択として離婚がありましたが

それを決断することが
なかなかできなかったんですね。

 

その理由は

やっぱり私たち子どもの存在。

 

 

母には経済力がないからこそ
子どものことを考えると
離婚はできなかった。

 

だから

結婚生活は我慢の連続
だったと思うし

すごく我慢強い女性だと
娘の私から見ても感じます。

 

そんな母を見てきた私は

お母さん、もっと自由になっていいよ。」

って心から思っていたし
そう伝えても来ました。

 

でも

母はなかなかそれが
できなかったんですよね。

 

そんな母は私を見ては
よくこんなことを言います。

 

あなたはいつも自由でいいね。

そんなあなたを見てると
もっと自由に生きてもいいのかなぁ

って思えてくる

 

私も母の子どもですから

母譲りの我慢強さがちゃんとある
とは思ってるんですが(笑)

 

まあそれでも

世間体とかあんまり気にせず

自分が嫌なことはやらないし
自分が好きなことはとことんやる

というのは

三つ子の魂百までというくらい
小さい頃から変わっていません。

 


コロナ以前は夫を置いていきたい場所があれば全国各地に出かけておりました

 

もちろん

今暮らす場所は狭い町ですし

私はSNSを通じて自分の行動を
以前から発信してますから

いろいろ言われていることも
承知の上です。

 

それでも

やっぱり私は私の心が
ときめくことをしたい

 

そして

そんな私の心がころころ動き
その心のままに生きる人生を
伝えていきたい。

 

母のように

家族を優先し
自分の本音を抑えてきた女性が

自分の心の声を聴き
その心の欲するままに
自分らしい人生を謳歌する

 

そのために私ができること
をこの人生ではやっていきたい。

 

そんな想いを込めて

私はいつもこの言葉で
あなたに向けて書く手紙を
締めくくっています。

 

 

高知からまごころこめて。

織田トマト

【夫:織田康嗣】
高知県高知市出身
2017年 新規就農してトマトの栽培を始める

幼い頃、週末に父親の実家がある佐川町に、田んぼの手入れに来ていた。
平日はサラリーマンとして働く父親は普段全く笑顔がなかったが、週末の田んぼで汗を流す時だけは、驚くほどとびきりのいい笑顔をしていたのが子ども心に強く印象に残っていた。

高校卒業後は、大阪や東京でコンサートなどの音響スタッフやドラマーとして活動。

東京で長年暮らすうちに、「いつかは故郷に帰りたい」と思うようになり、そんな時に頭に浮かんだのは、かつて父親が楽しそうに田んぼをやっていた姿だった。

「仕事もプライベートも自分の人生をまるごと謳歌する大人を増やす」べく、命の源である食を支える農家になることを決意。

世の大人たちを細胞からエネルギーで満たす生命力が高いトマトを届けようと日々励んでいる。

【妻:織田茜】

中央大学法学部卒 

都内の化粧品メーカーで「肌の専門家」として年間2,000人以上の肌相談に対応。社内外で美容や応対の教育指導にも従事

夫と共に高知に移住し、2017年から夫婦でトマトを栽培している。

織田トマトの日々
愛∞無限大|織田トマト