批判されても止めない

好きなもの

人が何かをやろうとする時
必ずといっていいほど出てくるもの。

それは

周りからの批判。

そんな時
あなたならどうしますか?

 

自分の人生をとことん楽しむ
大人で溢れる世の中にする

ことをビジョンに

エネルギー溢れる真っ赤な太陽
のようなトマトを通して

細胞が喜び命が輝く
大空と大地の愛を繋ぐ天使💛

織田トマトの織田茜です。

 

現在開催中の
『全国高校サッカー選手権大会』

 


全国高校サッカー選手権大会

 

そんな中、目にしたニュースで
いろんな思い出が蘇ってきました。

 


元記事はこちら

 

 

私が高校サッカーを
初めて見たのは小学5年生の時。

 

その第69回の大会の優勝校が
小嶺監督率いる国見高校。

 

そして

準優勝校が5年前に亡くなられた
松澤監督率いる鹿児島実業高校でした。

 

国見高校はこの3年前の
第66回大会が初優勝。

 

私は初めて高校サッカーを
見た時からその面白さに
のめり込むんですが

ピッチに立っている
イレブンはもちろん

そのチームを率いる監督の
存在感にも魅せられたんです。

 

当時も個性的でユニークな
監督が各高校にいましたが

その中でも小嶺監督は
抜群の存在感を放つ名将でした。

 

その小嶺監督が国見高校に
赴任する前の島原商業時代。

 

当時の九州は全国の中でも

「サッカーが弱い地域」
だと言われていました。

 

確かに第69回の時点では
鹿児島では高校サッカーの認知が
まだまだ低かったのか
リアルタイムでの放送がなくて。

 

↑リアルタイムで放送されたのは
決勝戦くらいだったと思います

 

そんな中で

九州のサッカーを強くする

という想いの元

 

 

 

 

小嶺監督は自腹で大型免許を取り
中古バスを手に入れ

サッカー部の生徒たちを連れ
九州各地、その後は全国各地を
バスで回り試合行脚に出ます。

 

当時、そんなことをする
公立高校の教員っていないわけで。

 

しかも

なんの実績も無い時から

「優勝する」
「日本一の指導者になる」

なんて言うと
周りからはとにかく笑われるし

学校内からもめっちゃ批判
されまくるんですよね。

 

でも

自分の信念を曲げない。

 

だって

人はとにかく批判するものだから

 

だから

人が批判するのを
止めるまで止めない

 

人が批判を止める時。

 

それは

結果を出した時

なんですよね。

 

だからひたすらその時まで
情熱を持ってやり続ける。

 

そして

結果を出してからも
コツコツコツコツやり続ける

 

実際に

小嶺監督はこのバス行脚を

島原商業時代から
国見高校時代

そして

2011年から現在まで務めた
長崎総合科学大学付属高校でも
実践されていました。

 

国見で高校サッカー選手権6度の優勝 名将・小嶺氏は弱小校をどう強化したのか - スポーツナビ
 高校サッカーの名将といえば、小嶺忠敏氏(76)のことを思い出す人は多いだろう。島原商、国見、長崎総合科学大学附属(以下…

 

※75歳からは高齢のため
運転手は別に付けていたそうです

 

当時の高校サッカーを
見ているファンにとっては

小嶺監督が名将なのは
間違いないけど

 

これだけ多くの人を惹きつけたのは

サッカーや生徒への
溢れ出る情熱と

自ら道を作っていく
姿勢だったなぁ

なんて思うんです。

 

だからね

今は周りにとやかく言われたとしても
とにかくやってみよう。

 

結局のところ

やっても批判する人はいるし
やらなくっても批判する人はいる

 

だったら

やったほうがきっと気持ちいいよ。

 

それに

人生振り返った時に
人からの批判よりも何よりも

やらなかったことで
自分が自分を批判しちゃうことが
最も辛いから。

 

小嶺監督、長きにわたり
ワクワクさせていただき
本当にありがとうございました。

 


画像はこちらからお借りしました

 

 

高知からまごころこめて。

細胞が喜び命が輝く大空と大地の愛を繋ぐ織田トマト

【夫:織田康嗣】1982年 高知生まれ 高知県立高知東高等学校卒 
大阪や東京でコンサートなどの音響スタッフやドラマーとして活動し、故郷で農業がしたいと高知にUターン。

2014年 高知県佐川町に夫婦で移住
2017年 トマト農家として新規就農する

幼い頃、週末になると父親の実家がある佐川町に、田んぼの手入れをしに父親と来ていた。

サラリーマンだった父親は、朝早くから夜遅くまで仕事で家におらず、普段は笑顔がなかった。

けれど、週末の田んぼで汗を流す時だけは、とびきりのいい笑顔をしていた。

それを見た時に、「農業っていいなぁ」となんとなく思っていたが、高校卒業後は興味があった音楽の道に進む決意をする。

東京で長年暮らすうちに、「いつかは故郷に帰りたい」と思うようになり、そんな時に頭に浮かんだのは、かつての父親が楽しそうに田んぼをやっていた姿だった。

そこで、「自分が生きたい人生を選び、とことん楽しむ」と決め、故郷・高知で農家になる事を決断。

『仕事やプライベートの区別なく、自分の人生をまるごと楽しむ大人で溢れる世の中にする』ことをビジョンに掲げる。

自分の人生をとことん楽しむためには、まず心とからだが元気でエネルギーに満ちていることが大切だと考え、おいしいだけじゃない生命力が高いトマトを届けようと決める。

夫婦で「ありがとう」「愛してる」と日々トマトたちに声を絶えずかけている。

【妻:織田茜】1978年 鹿児島生まれ 中央大学法学部卒 都内の化粧品メーカーで「肌の専門家」として年間2,000人以上の肌相談に対応。社内外で美容や応対の教育指導も手掛ける。

好きなもの
細胞が喜び命が輝く大空と大地の愛を繋ぐ「織田トマト」
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