同じ悩みを抱えているからといって
同じ気持ちだとは限らない。
今日はそんなお話。
自分の人生をとことん楽しむ
大人で溢れる世の中にする
ことをビジョンに
エネルギー溢れる真っ赤な太陽
のようなトマトを通して
細胞が喜び命が輝く
大空と大地の愛を繋ぐ天使💛
織田トマトの織田茜です。
ネットには経験者が回答する
お悩み相談のサイトがよくある。
私も以前、とあるお悩みについて
始まりから解決するまでを書いた
経験者の方のブログを読んでいた
ことがあるんですが
その中でとても印象に残った
記事がありました。
その記事はしばらくブログの更新が
滞っていた後に書かれた記事で
何故更新が滞っていたのか
その理由としてこんなことを
書かれていたんです。
それは
自分にとって既にその悩みが
過去のものになってしまって
リアリティを持った言葉が
だんだん書けなくなってきた
というものでした。
もちろん
相談されれば
「私は○○の時こうしたよ」とか
「こういう時は◆◆がオススメ」とか
ってことは伝えることはできる。
だけど
悩んだ時の自分の心情については
もう記憶から薄れてきていて
実感を持って書けなくなっている
ということなんですよね。
これってね
いろんな場面であることだなぁ
って思ったんです。
例えば
人は子ども時代があって
大人になる。
けれど
大人になったら子ども時代の
時に感じた喜怒哀楽の気持ちを
すっかり忘れて
子どもの気持ちになかなか
寄り添えなかったりする。
他にも
会社員なら誰にでも新入社員
時代があるのに
時が経つとその時のことを
すっかり忘れて
教育期間の新入社員の気持ちを
ケアできずに悩んだりする。
これは私にも覚えがありまして
今思うと本当に反省点がいっぱい
あったりします。
でも
人は忘れていく生き物だから
致し方なかったりする。
むしろ
同じ悩みがあるからって
その時に感じている気持ちも
当時の自分と同じだって思ってしまう
ことのほうが傲慢なのかなぁ
って思ったんですね。
だって
同じことで悩んでいたって
その過程も悩みの程度も
悩みとともに生じた悲しみも辛さも
それぞれ個人的なものだから
だからこそ
自分と相手は違う人間である
ことを前提にして
相手の悩みに傾聴する姿勢が
まずは大切なんだと思うんです。
そして
その時々の心情に寄り添っていく。
その過程で思い出された
当時の自分と共通する気持ちがあれば
それを共有していけばいい。
抱えていた悩みが無くなり
今はその時の気持ちが
実感として薄れていたとしても
悩みから解き放たれた今のあなたが
人生を謳歌していれば
その姿こそが悩んでる方の
未来の希望になります。
高知から愛とまごころをこめて。