休んでいる自分を責めない

織田トマトの日々

何かの理由で休んでしまった時。

「こんなに休んでしまって
どうしよう・・・」

って思ったこと、ありませんか?

でも、どうか自分をそんなに
責めないでください。

 

自分の人生をとことん楽しむ
大人で溢れる世の中にする

ことをビジョンに

エネルギー
溢れる真っ赤な太陽
のようなトマトを通して

細胞が喜び命が輝く
大空と大地の愛を繋ぐ天使💛

織田トマトの織田茜です。

年齢を重ねるごとに時間が
あっという間に過ぎていく。

 

その過ぎていく時間に対して
釣り合うようなことがやれていない
という罪悪感を感じてしまうこと
をブログに書いたけれど

それを強く実感する時のひとつが
体調を崩した時。

 

体調が数日で回復したり
不調でも仕事がそれなりにできていれば
そこまで感じることはないかもしれないけど

仕事を休んだり家事ができなかったり
体調不良が元でそういった状態が
長引けば長引くほど

何もやれていない自分が
申し訳なく思えてくる。

 

 

そんな時にふと思い出したことが
インド哲学で学んだ時に耳にした
時間の感覚について。

 

それは、インドの歴史においては
そもそも時間という概念がなく

100年も1000年もただただ流れる
瞬間の中にあるもので
そこに大差はないというような
ものだった(はず)。

 

それはインドでは時間の流れが
始点から終点に向かって流れる
直線的なものではなく

生まれて、その生を終えれば
また再び転生するという
大きな円の流れを繰り返すという思想があり

それがインドにおける時間の概念
そのものだからなんです。

 

 

そして、私たち人間にとっての1年は
神における1日(昼と夜)でして

しかも、インドの古代で絶対神とされた
ブラフマー神の昼に相当するのが
人間の43億2000万年という時間であり

そのブラフマー神よりも後のインドで
最高神とされたシヴァ神または
ヴィシュヌ神においては

人からするととてつもない時間に思える
ブラフマー神の一生でさえも一瞬
に過ぎないんだそうです。

 

そんなとてつもない大きな
インド哲学の時間の概念を思い出した時に

人が思う“たくさんの時間”なんて
その大きな時間の概念の中の
極々一部でしかないんだなぁ
って思ったんですよね。

 

 

すると、「こんなも休んでしまった」とか
一喜一憂しなくてもいいように思えて
なんか気持ちが軽くなったんです。

 

人の今生の命にはもちろん限りがあるし
命の長さだってそれぞれだけど

それでも、休んだり療養したり
引きこもったりする時間を
そんなに嘆かなくてもいいし
申し訳なく思わなくてもいい。

 

それは人生の一部でしかないし
大きな時間の流れの瞬間の一部
でしかないのだから。

 

だから、今は思いっきり休んで
からだと心に英気を養ってください。

 

 

高知から愛とまごころをこめて。

織田トマト

【夫:織田康嗣】

1982年 高知生まれ 高知県立高知東高等学校卒 
2017年 新規就農してトマトの栽培を始める

幼い頃、週末に父親の実家がある佐川町に、田んぼの手入れに来ていた。
平日はサラリーマンとして働く父親は普段全く笑顔がなかったが、週末の田んぼで汗を流す時だけは、驚くほどとびきりのいい笑顔をしていたのが子ども心に強く印象に残っていた。

高校卒業後は、大阪や東京でコンサートなどの音響スタッフやドラマーとして活動。

東京で長年暮らすうちに、「いつかは故郷に帰りたい」と思うようになり、そんな時に頭に浮かんだのは、かつて父親が楽しそうに田んぼをやっていた姿だった。

「仕事もプライベートも自分の人生をまるごと謳歌する大人を増やす」べく、命の源である食を支える農家になることを決意。

世の大人たちを細胞からエネルギーで満たす生命力が高いトマトを届けようと日々励んでいる。

【妻:織田茜】

1978年 鹿児島生まれ 中央大学法学部卒 

都内の化粧品メーカーで「肌の専門家」として年間2,000人以上の肌相談に対応。社内外で美容や応対の教育指導も手掛ける。

夫と共に高知に移住し、2017年から夫婦でトマトを栽培している。

織田トマトの日々
細胞が喜び命が輝く大空と大地の愛を繋ぐ「織田トマト」
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